居酒屋私は5年間くらい東京都港区新橋が勤務地だった時がありました。新橋と言えば、日本有数の飲み屋街で、数知れず居酒屋の件数があって、サラリーマンの憩いの場所だったわけです。








私は新橋という場所が大好きで、
ほぼ毎日仲間と仕事帰りには馴染の居酒屋に
通っていたものです。



さて、居酒屋のルーツは古くは奈良時代の
平城京にさかのぼり、その後は江戸時代の
江戸で、大流行になったとのこと。



奈良時代では「しゅし(酒し)」という外で
酒を飲ませる店があったのですが、
そこで飲めるのは役人等の特権階級のみで、
一般庶民はまだ家で酒を自作して
家で飲むのが普通であったらしいのです。



酒を買う習慣が出来て、庶民も買えるように
なったのは、酒造りの技術が進歩して、
酒の大量生産ができ流通が拡大した
江戸時代になってからでした。



但し、一般庶民は、まだ「通い徳利」といものを
ぶらさげて、酒店一升から三升を買って
家でゆっくり飲むというのが一般でした。



ただ、江戸中期になると各酒店が客寄せのため
それぞれ自慢の酒を試飲させるようになって、
店に居ながら酒が飲めるということで、
これが「居酒屋」の語源となるのです。



現在でもメインの集客法である無料サンプルで
お客様を募る手法は、この時代からあったのですね。



その後、酒を試飲させて酒の量り売りするだけではなく、
各酒店は様々な工夫を施し、豆腐に味噌をつけて焼いたもの
(味噌田楽)とか、様々な煮物をとか、色々やり始めたのです。
これが今の姿に連なる「居酒屋」の元祖と言われるものです。
そして、こういった商売が大繁盛したのです。



1811年、町奉行の調べで、江戸だけで1808軒もの
「居酒屋」あったとのことです。



そして、その時の酒はほぼ原価に近い価格で売っていたらしく
これは、まさに酒がフロントエンド(集客商品)で肴や食事が
バックエンド(利益商品)という今のビジネスモデルの発想に
近いですね。驚きです。



江戸で「居酒屋」が増えた理由は、他にもあって、
当時徳川は江戸の町づくりに精を出していた頃で、
そのため全国から働き手の男性を多く募ったために、
その憩いの場ということで「居酒屋」が
大流行したともいわれています。



そして、当初は昼営業が通常でしたが、
灯りをともす「油」などの価格が安くなってからは
夜営業もできるようになって今の形態に近づきました。



当然「居酒屋」が大繁盛するということは、
各店間の競争が激しくなるということです。
そして、競争ということは「差別化」するということで、
これは今の時代と全く同じ状況ですよネ。



例えば、其の一
現代でも増えてきた「肴均一料金」という手法が、
当時もあったということです。【三分亭】という居酒屋で、
初めて肴一品を銀3分(30文)=約600円に統一したところ
大繁盛して同じことをやる店が増えたとのこと。



其の二として、今でいう店頭にある食品サンプルの
ショウケースに似た感じで、今日のお勧めの肴を店頭に
つるしておくとかしていたそうです。
ただ、夏場は生ものは痛みやすく、すぐ臭ってくるので、
臭いを吸引する役目を果たすということで「縄のれん」が
流行って、今ではこれはトレードマークって感じですネ。
などなど・・・・



当時の江戸近郊では濁り酒しかできず、澄んだ清酒は
上方で生産されていて、船で江戸に運ばれていました。



でも、いくら清酒でもまだ雑味が強く、円やかにする
ために、江戸では一年中、燗酒が好まれたとのことです。
その燗の仕方も、まさにお客のニーズに応えるという
ビジネスの鉄則に沿って【熱燗】【上燗】【ぬる燗】と
細かく区分けされていて専門職を置いていたそうです。



そして、当時の店内の様子は、今でいう背もたれがない
簡単な平らなベンチみたいなものや、畳みがあるだけで、
しかも座卓がなかったから、酒と肴は座ったその脇に
置くだけなのです。
差し向かいで飲むということはなかったようで、
しかも、二人でもおちょこは一つでお互いに
回し飲みが普通だったらしいです。



へぇ~って感じですよね。その方が、
知、不知を問わずお客同士が近くなり、和気あいあい
イイ雰囲気で酒が飲めるって感じなんでしょうネ・・・



以上、「居酒屋」の姿は今日に至るまでその様子は
だいぶ変わったようですが、コミュニケーションを
通じて、一日の疲れを癒し、または救いとなり、
そして明日への活力の源にもなるという
「居酒屋」の根底にあるコンセプトは
昔も今も変わっていません。



だから「居酒屋」は栄えたのですネ。

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